大雪で雪消が遅い春です。作業が遅くなります。

4月11日の我が田圃はまだ1m近い雪に埋もれてます。同じ時期に訪れた県央地区は雪もなく桜咲く中での農作業、遠くにトラクターが見えます。我が魚沼地域は雪が沢山あります。山にはまだこんなに雪があります。


苗作り作業を手伝いました。
苗を分けていただく近所の大農家さんから、暇なら手伝いに来ないかと誘われました。これまでは苗をJAから買うだけでしたが、苗プロセスにも関与した米つくりになりますので喜んで作業に加えてもらいました。
これは機械で行う「スジ撒き作業」という苗つくりです。苗箱に焼土という雑菌のない土と発芽前の消毒した稲の種、水、更に消毒薬も撒く機械です。土、種子、水、消毒薬まで人力から機械化へシフトしてますね。


苗箱で発芽した苗を、太陽光で成長させます。ここからは苗が外気にあたりますから、ハウス栽培に比べ時間はかかりますがより自然で丈夫に育つということです。

田起しと代かきに向け、トラクター点検とエンジンオイル等を交換します。


エンジンオイルは30番のオイルをコメリで購入して自力で交換します。最初はおっかなびっくりでしたが、2回目となると簡単です。

ラジエターの不凍液交換をして、汚れている燃料フィルターはエアできれいにします。これは初めてなのでおっかなびっくりでやります。燃料フィルターのエア抜きもうまくいきました。

トラクターのロータリー刃を交換、トラブル発生。
トラクターの刃がこんなに細くなっています。コメリでトラクターの刃を購入して細った刃を3本交換します。これには手こずりました。まず、刃には右左があり、交換する刃によってボルトの長さが違います。イセキの場合、ボルトの下に目印の突起があり、そこの刃は突起側に曲がっている刃となります。この写真の場合は突起が左にありますから左に曲がっている刃を使うことになります。かつ、上段に押さえ棒がある分、ボルトが長いんです。失敗しました。手こずりました。この交換トラブルは「2025年春の稲作失敗事例」に投稿します。

なめたボルト、これ以上はいじれません。ますます状況が悪化してきました。



農業用水の確保は春の江ざらいから始まります。

幼馴染のHくんと水の分岐点を確認、小さいマスの水量調整の板が行方不明になったのでコメリで買ってきて新調します。

いよいよ田の荒起し
今年の春は天候不順です。空一面の雨雲、寒い中での作業です。本当は田んぼが乾いてからがいいのですが、待ってられません。去年、4月23日から始めた田起こしが今年は雪消えが遅く5月4日からになりました。気温も低く5/4日の最低気温10℃、最高気温19℃、荒起し中の一番寒い日が10℃ー13℃ですから凍えるような寒さです。年をとると寒さがこたえます。寒さで体調がおかしくなり1日ベッドに横たわり、翌日かかりつけ医から薬をもらう羽目になりました。昨年の手帳を見ると最高気温が24℃〜28℃で暑い暑いという記載です。天候不順が新たな米不足にならなければいいのですが。


段差のある田んぼ3枚を1枚にします。
昨年、3枚の変形田を1枚にまとめる工事をしてもらっています。小さい田んぼでそれぞれ段差があり、農機の出入りに危険をともなうことから決断しました。総額80万円うち20万円の助成金を市から受けられます。写真は今年、田植えができるように仕上げているところです。集めていた圃場の土を広げ、水を入れて圃場整備用のブルトザーで平らにしているところです。


天候不順からようやく晴れました。
農作業は晴れがいいですね。いつも晴れるとは限りませんが晴れはありがたいです。これまでの雨、凍えるような寒さから気持ちが晴れ晴れ、暖かさに体が溶ける感じです。写真で見ると高い所が見えますね、この段階で直さないと水が均等に張れず、除草剤が効かない、低いところに水が残り中干しが効かないなど影響がでますが、やはり、初心者はその辺が足りないですね(反省)

田植えです。
昨年より2日早く5月16日から田植えです。今回から苗は知り合いの大農家さんの育苗を植えます。
田植機の施肥量を少し多く出るように調整しました。結果は予定通りの2袋/10aでしたので安心しました。
苗取量は最小から1段上げたら、反当たり18枚弱でこのままでは苗が40枚位い足らなくなります。これはいかんと次の圃場からは元の最小値に戻しました。


苗取量を1段上げてやってみます。

苗が多く出すぎて苗取量を元の最小値に戻しました。

10時から始め午後4時に終了、年寄だから無理せず本日は終了です。農業の良いところは、結果が出て穏やかな夕暮れを見れることです。さて、今日の晩酌のあては何かな。

変形な圃場の植え方はどうするのだろう。
段差のある3枚の変形圃場を1枚にした圃場の初田植えです。台形の田圃ということで左右が出張っています。クボタ田植機の説明書の例を参考に左右の出張っている以外のところを植え、最後に残った外周部を植えて出入り口から出てゆくことにしました。理屈はそうでも植えられないところや重複して植えるところがでてなんとか終わりました。やはり、上手くはありませんが経験の積み重ねということなんでしょうね。


田植えの記録
苗量は最初の圃場で田植機の苗取りレバーを1段上げて多く出ましたが、その後は元に戻したので想定した苗量250枚(反15枚)で収まりました。肥料は施肥量調整金具のレバーを1段上げましたが、もう少し出ても良かったと思います。37袋用意して30袋ですから7袋余りました。過剰に施肥すると倒伏の恐れがあるとビビリ過ぎたようです。
日付 | 作業面積 | 苗使用量(枚) | 苗反当り(枚) | 肥料(15キロ袋) | 肥料反当たり(袋) |
2025/5/16 | 3.04 | 54 | 17.8 | 6.0 | 2.0 |
2025/5/17/18 | 5.60 | 83 | 14.8 | 10.0 | 1.8 |
2025/5/19 | 5.05(2枚) | 76 | 15.0 | 9.5 | 1.9 |
2025/5/20 | 2.20 | 33 | 15.0 | 4.2 | 1.8 |
計 | 15.9 | 246 | 15.5 | 29.7 | 1.8 |
この1枚 宇多田ヒカル 「First Love」
1999年にリリースされたアルバムで彼女は16才、僕が42才、26年前のアルバムです。アルバムへの収録は97年〜98年、宇多田が14才から15才にかけてということですから、かなり早熟で開花した才能です。このアルバムは未だに売れ続けて、全世界で1000万枚位の出荷数ですから、かなり完成度の高い、セールスの巨大性と高いクオリティー、国際性を持つアルバムです。
「こんなに若く才能豊かなシンガーソングライターが、こんな日本人が出現するなんて」が当時も今も変わらない印象です。とても驚いたものです。多くの人が同じような印象だったと思います。楽曲は全てが素晴らしいとコメントします。

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