初代の薪小屋
最初の薪小屋は亡父が作ったものです。電気工事士で大工仕事も現場で見てきた父は、台風で暴風雨の中、パタパタと基本的な構造を一日で建てました。こういう大工仕事、Do it yourselfが好きな人でした。
築20年経ち基礎の材が一部腐り、ここ数年で傾いてきたので建て直しすることにしました。使える材は建て直しの小屋にすべて使うので、2代目は大きさ形状は父形見のデテールを引き継ぐようになります。
20年使った小屋が傾き出しワイヤーで補正を試みたり傾き防止に筋交いを追加したりでこんな有り様となりました。左に傾いているのが分かりますか。
基本的な構造は父が作り、その後の造作は僕がしました。僕の失敗は ①床板を貼らず床下に風が通らない構造にしたこと ②薪を支える横板を張らなかったことです。横板は後付で薪が崩れないように追加しました。
なにしろ薪ストーブ初心者で、今から思うとかなりの知識不足でした。そんな反省・改善点も踏まえて建て直します。
薪を運び出し屋根を取り裸になった小屋です。右側の土台基礎部分が腐りだしたのが傾きの原因です。
初代薪小屋の解体
小屋の薪を全部出します。
今シーズンに割る玉切りした木も見えます。
割りづらい節の部分が残ってます。
屋根のトタン、垂木を取った後です。
構造材しか残っていません。
建て直しの材を探します。
我が家で追加で使えそうな材を物色、3寸角の長い材を見つけました。これは使いそう。
基礎に使う材は4寸角二間で長くホームセンターにはありませんから知り合いの材木屋さんに頼みます。
コンクリート基礎を作ります。
2022年、田植えが済んだ6月に薪ストーブ仲間の中村さんから手伝ってもらい水平を取り基礎を作ります。
水平をとることが大事で水平を測るNikonの機器を使い、コンクリートを流し込んで基礎とする本格的な仕事です。とても僕では無理なのでここはお任せしました。
基礎の材は四寸角2間(実際は4m)と長く、ホームセンターにも置いてません。有り合わせの材という訳にはいきませんから知り合いの材木屋さんから運んでもらいました。
基礎にコンクリートが固まって基礎の材を置いているところです。
柱を立てる写真を撮り忘れました。屋根材を貼る作業です。
屋根に垂木を張った後、コンパネを張る。だいぶ小屋らしくなってきました。
ほぼ、完成の図
ひとりでやっていたので写真があまりなくてすみません。途中省略で、ほぼ、完成の図です。
部材は前の小屋のものを極力使い費用を抑えます。基礎の2本は材木屋から仕入れた4寸角4mです。二間間口にちょっと余ったので切らずにそのままにしておくことにしました。(これが、次の増築の際に40cm有効利用できることとなったのです)
床板と横板を張り防腐剤を塗ってお盆前に完成しました。防腐剤はネットで調べたらエンジンオイル廃油を使っている事例があったので、ちょうどトラクターのオイル交換をしたので、その廃油を使うことにします。廃油を使うと味のある風合いになり自己満足です。
強度を保つため筋交いは十分にしました。ちょっと長い基礎の材が飛び出ています。この分のスペースは翌年の増築時に有効活用することになります。
床にホゾを切って垂木を渡し風が通るようにします。
垂木が新品のように見えますが古材を電動カンナがけしたものです。
廃油でお化粧してお盆前に薪小屋が完成!
床下に風を通す床板と薪が崩れないように横板を張り、小屋全体にエンジンオイルの廃油を防腐剤代わりに塗っていい風合いになりました。
お盆までには薪で満杯にする予定で薪割り機で割っているところです。ここまでくると小屋を薪で一杯にするのが楽しみです。
翌年2023年に薪小屋を増築する。
翌年2023年に増築した写真です。昨年の小屋建て替えでノウハウを得たので今回は、独力で建てる、柱はホゾ切で作ることにしました。極力、独りで作ることにしました。町内の人から「独りで大丈夫か!」と冷やかし半分の応援があって励みになりました。
一番心配した基礎の水平は水準器で測ると大丈夫だったので一安心です。
増築の基礎は本格的なものは僕では無理なので、砂利をしいてコンクリート平板で水平をとる簡単なものにしました。水平が大丈夫か不安でもありました。
立てる柱にホゾを切ってます。
柱を立て棟上げだ。万歳!
棟上げまであと少しです。町内のK原さんからホゾ切の指導を受け、下手ながらホゾを入れて組み立てました。
組立作業もひとりで材を持ち上げてしました。足場が不安定なので手こずり、止めたと思った材が肩に落ち痛い目にあいました。古い材を使ったのでホゾ穴を切れないところは羽子板ボルトで締めています。
垂直を確保するため、仮の筋交いで止めている写真です。どうか倒れませんように、どうか垂直でいてください。あとは、床板と横板を貼って屋根を作ってと山場に突入です。
柱の垂直は水準器で測る。大丈夫OK! あとは筋交いとカスガイで固めれば万全です。
右側のエンジンオイルを塗った小屋と増築中の小屋との間の40センチほどの空間も薪を積めるスペースになります。
増築後の薪小屋の様子
これが、2024年2月の薪小屋の様子。
まず、雪が極端に少ない。例年だと小屋は雪で埋没している。手前が2022年夏作、その向こうが2023年夏に増築した部分。増築部分は古材で作ったので屋根軒が短い。
もー死ぬまで小屋作りはないだろうな。さみしい。やりたいー。
2024年10月の様子です。
小屋にあった薪は今冬用に南側のベランダ下に積み直しました。
今年は春から稲作農家になりましたので、そちらに集中して薪集めは8月に少しと稲刈りが終わった10月からで薪小屋が満杯になっていません。あと2本くらい切れば満杯になるかなといったところです。
こちらが薪小屋から移した今冬使う薪です。例年は1階は雪に埋まって薪小屋の薪は使えませんから、この壁面の窓から薪を室内に取り入れるようになっています。
乾いた薪は越冬用に玄関先にも積みます。
分けてもらった長十郎梨の原木を薪割機で割り小屋に積みます。
この1枚 Jackson Browne 『Late For The Sky』
ジャクソン・ブラウンの代表作 『Late For The Sky』は、1974年に発表されたジャクソン・ブラウンの3枚目のアルバム。 ブラウンの代表的な楽曲が並んでいる70年代ウエストコースト・ロックを代表する名盤です。
1980/11/19 新潟市体育館でのジャクソン•ブラウン公演に行きました。有名なブラウンが新潟のそれも体育館でとは信じられなかったですね。
ブラウンと巻原発反対の住民運動の思い出
1969年、巻町角田浜に原子力発電所建設の報道がされ、71年に東北電力が建設計画を公表した。
77年、巻町議会は原子力発電所建設同意の決議を可決した。81年、公開ヒアリング実施、国の電源開発調整審議会にて電源開発基本計画に組み入れの決定がされ、82年、東北電力は設置許可申請を行った。
1996年8月4日巻町で日本初の条例に基づく巻原子力発電所の建設について賛否を問う住民投票が行われた。圧倒的な反対結果を受け巻町は原子力発電所建設予定地の売却を凍結、発電所建設は撤回されました。
新潟県のこの長い住民運動は、僕が社会人になった79年前後から約20年間続いた印象的な出来事でした。次々と原発建設計画が公表される中での発電所建設撤回は世論を反原発へと大きく変える出来事でした。
このアルバムの代表曲「Before the Deluge」は反自然破壊、反原発の立ち位置で書いたと思っています。ブラウンは79年にスリーマイル島原子力発電所放射能漏れ事故に抗議する反原発イベント「ノー・ニュークス」を企画、反原子力活動などの社会派ソングライターとして有名です。このアルバムの「Before the Deluge」もそんな立ち位置です。
そして時代は進み東北大震災による原発事故の怖さを知り、ヨーロッパの生命維持エネルギーであるロシアエネルギーはウクライナ戦争で途絶しました。反原発とエネルギー確保、厳冬期に電気がなければどう暮らすか経済と社会をどう維持できるか難しい問題です。
「Before the Deluge」の一節を掲載します。
Some of them were dreamers
And some of them were fools
Who were making plans
and thinking of the future
With the energy of the innocent
They were gathering the tools
They would need to make their journey
back to nature
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